通院できなくなっても、歯科とのつながりを諦めない――訪問歯科が支える「食べる」「暮らす」

医科歯科連携特集企画 訪問歯科特集③ 歯科医師インタビュー
医科歯科連携特集企画「訪問歯科特集」の第三弾は、歯科医師の立場から訪問歯科の現場をお伝えします。お話を伺ったのは、特別養護老人ホーム庄和和合をはじめとした施設や在宅の患者様のもとへ4年半にわたり訪問診療を続けてこられた石井大貴先生。前回取材時は春日部デンタルクリニックに所属されていましたが、2026年6月からは所沢デンタルクリニックの院長として、施設だけでなく在宅の患者様も含めた訪問診療にさらに力を注いでいます。「歯を治す」ことにとどまらない、訪問歯科ならではの視点について語っていただきました。
患者さんの生活と思いを尊重する――訪問診療で大切にしていること
石井先生が施設への訪問を始めて4年半。多いときは1回の訪問で14〜15名の患者様を診るといいます。認知症を患う方も多い中で、まず大切にしているのは「声をかけること」だと話します。
「患者さんは認知症を患っている方も多いので、私の言葉がすべて伝わっているかは分かりません。ですが、医療従事者として、たとえ話が通じなくても、まずお声がけをすることは自分の信条として大切にしています。」
診療の軸にあるのは、「どれだけ患者さんの目線に立てるか」という視点です。教科書的には入れ歯が必要な症例であっても、本人が望まなければ無理に勧めることはしません。今の状態でお口の環境をどう整え、食べられるものをどう維持していくか――「押し付けない」姿勢を貫いています。
「訪問診療で私が最も大切にしているのは、患者さんの生活や思いを尊重することです。医学的に最善と思われる治療が、必ずしもその方にとって最善とは限りません。「どのような治療ができるか」だけでなく、「患者さんやご家族がどのような生活を望んでいるのか」を丁寧に伺いながら、治療方針を決めるよう心がけています。」
実際に取材当日も、上下ともに歯がなく、入れ歯を勧められても「煩わしいから嫌だ」と望まない患者様がいたそうです。「入れ歯を入れたほうが絶対に食事はしやすくなります。でも、ご本人が嫌がるのであれば無理強いはせず、今の状態で食べられるものを、施設の方やご家族と一緒に考えて対応していく形をとっています」と石井先生。ここに、外来診療との大きな違いがあるといいます。
「生活の場」に入る医療――外来診療との違い

外来診療では、患者さんが歯科医院という環境の中で診察を受けます。一方、訪問歯科では歯科医師の側が患者さんの生活の場に伺うことになります。この違いについて、石井先生は次のように話します。
「一番大きな違いは、患者さんが実際に生活している環境の中で診療できることだと思います。実際にどこで食事をしているのか、どのような姿勢で食べているのか、入れ歯を普段どのように使っているのか、ご家族や介護職の方がどのように口腔ケアをしているのかなど、診療室では分からない情報がたくさんあります。」
一方で、行える処置には限りがあることも事実です。「外来のように完璧な設備があるわけではないので、ある種『野戦病院』のような側面があることは冷静に受け止め、その中で最善を尽くすようにしています」と石井先生。限られた環境の中でも、安全面への配慮は欠かせません。診療中は頸椎を守るために頭部をしっかり支え、口腔ケア中に眠ってしまう患者様がいても対応できるよう、体制の確保には細心の注意を払っているといいます。声をかけてから治療を始めることも、徹底しているポイントの一つです。
「私自身、訪問歯科を経験することで、歯科医療は『歯を治すこと』だけではなく、『その人の生活を支えること』でもあるということを、より強く意識するようになりました」と石井先生は振り返ります。
症状がなくても定期的に――「痛くなってから」ではなく「起こる前に」
「歯が痛くなったから呼ぶ」のではなく、症状がなくても定期的に訪問歯科を利用する意味はどこにあるのでしょうか。石井先生は、通院の機会そのものが減ることのリスクを指摘します。
「通院が難しくなった方の場合、歯科医院に行く機会が減ることで、むし歯や歯周病だけでなく、入れ歯の不具合や口腔内の清掃状態、噛む・飲み込むといった口腔機能の変化にも気づきにくくなります。定期的に口腔内を確認することで、問題を早期に発見し、必要な治療や口腔ケアにつなげることができます。結果として、痛みが出てから急いで対応する状況を減らし、『できるだけ自分の口で食べ続ける』ことを支えることにつながります。」
「最近少し食べにくそう」「以前より食事に時間がかかる」――高齢の患者様に見られるこうした変化は、実は口腔内の問題から生じていることも多いといいます。訪問歯科は、何か問題が起きたときに呼ぶものだけでなく、今の状態を維持し、これから起こり得る問題を予防するためにも活用してほしいと石井先生は話します。
口腔内の状態と「食べること・生活すること」のつながり

訪問歯科の現場に身を置く中で、石井先生は「口の中の状態は、口だけの問題ではない」と強く感じているそうです。
「歯が痛い、入れ歯が合わない、噛みにくいといった問題があると、硬いものを避けたり、食事量が減ったりすることがあります。口腔機能が低下すると、食べることそのものが負担になり、結果として栄養状態や体力の低下につながることもあります。一方で、口腔内を整えることで『以前より食べられるようになった』『食事が楽しみになった』と言っていただけることがあります。」
「歯科の役割は単に歯を治すことではなく、『その人が何を食べ、どう生活したいのか』を支えることにもある」と石井先生。診療室の中だけでなく、実際に患者さんが生活している場所を見て、食事の様子や生活環境、ご家族や介護職の方からの話も含めて考えることで、口腔内と生活とのつながりがより見えてくるといいます。
歯科だけで完結しない医療――多職種連携の重要性

石井先生が繰り返し強調するのが、多職種との連携です。診療のたびに、施設スタッフとの情報共有を欠かさないといいます。
「この患者さんにはこういうケアをしてあげてください」と伝えることは非常に重要です。施設での生活において、口腔ケアに割ける時間は全体の10%もないかもしれません。だからこそ、繰り返し伝えていかないとスタッフ間での共有が漏れてしまいます。何年もかけて、毎回必ずすり合わせを行うことで、日頃のケアの質も向上してきました。」
情報は歯科側から施設へ伝えるだけでなく、施設側から歯科へ届く情報も診療の重要な手がかりになるといいます。
「歯科医師は口腔内の状態を見ることはできますが、『最近、食事量が減った』『むせることが増えた』『以前より元気がない』といった日常生活の変化は、ご家族や介護職の方のほうが早く気づいていることがあります。一方で、歯科側からは『入れ歯が合っていない』『口腔内の汚れが増えている』『噛む力が落ちている』といった情報を他職種に伝えることができます。医師、看護師、ケアマネジャー、介護職、管理栄養士などが、それぞれの立場から得た情報を共有し、『この方が安全に、できるだけ長く食べるためには何が必要なのか』を一緒に考えることが大切です。」
「訪問歯科は、歯科だけで完結する医療ではなく、患者さんの生活の中に入っていく医療だからこそ、多職種との連携が非常に重要だと感じています」と石井先生は話します。将来的には、こうした多職種の情報をスムーズに集約するために、AIなどのテクノロジー活用にも期待を寄せているそうです。
施設スタッフ・ご家族に気づいてほしい「小さな変化」
施設スタッフやご家族が日頃気づく小さな変化も、診療にとって大きな手がかりになるといいます。歯科に伝えてほしい情報は、「歯が痛い」というサインだけではありません。
こんな変化があれば、歯科に相談してほしいサイン
・最近、食事に時間がかかるようになった
・以前好きだったものを食べなくなった
・硬いものを避けるようになった/むせることが増えた
・食べこぼしが増えた/入れ歯を使わなくなった
・口臭が強くなった/口の中が乾燥しているように見える
・歯磨きを嫌がるようになった
石井先生が特に大切だと語るのは、こうした変化を「年齢のせいかな」「仕方がないのかな」とそのままにしないことです。
「ご家族や介護職の方が日々の生活の中で感じた小さな変化は、歯科医療者にとって非常に重要な情報になります。『以前と何か違う』という段階でも、まず相談していただければと思います。」
訪問歯科を利用したいと思ったら

実際に訪問歯科を利用したいと考えたとき、患者さんやご家族はどこに相談すればよいのでしょうか。石井先生は、まずかかりつけの歯科医院への相談を勧めています。
「まずは、かかりつけの歯科医院に相談してみてください。現在通院している歯科医院が訪問診療に対応していれば、そのまま相談できますし、対応していない場合でも、地域の訪問歯科に対応している歯科医院を紹介してもらえることがあります。介護サービスを利用している方であれば、担当のケアマネジャーに相談するのも一つの方法です。施設に入所されている方なら、施設のスタッフに相談していただくこともできます。」
自分の地域で訪問歯科に対応している歯科医院を探す際には、地域の歯科医師会への問い合わせや、「訪問歯科」「訪問診療」といったキーワードでのインターネット検索も有効です。歯科医院を選ぶ際は、単に「訪問してくれるか」だけでなく、むし歯や歯周病の治療にとどまらず、入れ歯の調整や口腔ケア、食べる・飲み込む機能への対応など、必要としている診療に対応できるかどうかを確認しておくとよいといいます。訪問できる地域や曜日、急なトラブルへの対応、費用についても、事前に確認しておくと安心です。
費用や保険についても、正しく知っておくことが安心につながります。
「『訪問歯科は高そう』と思われる方もいるかもしれませんが、訪問歯科も基本的には保険診療として受けることができます。ただし、診療内容や患者さんの状況、利用している介護サービスなどによって自己負担額が異なる場合があります。費用について不安がある場合は、診療を受ける前に歯科医院へ確認していただくことをおすすめします。費用が心配だからといって、痛みや食事の問題を我慢してしまう必要はありません。」
訪問歯科の現場を支える仕組み――デンタルサポート社に聞く
訪問歯科は、歯科医院だけで成り立っているわけではありません。全国の歯科医院の訪問診療をサポートする専門会社、デンタルサポート社にもお話を伺いました。同社には日々、患者さんやケアマネジャー、施設からの相談が寄せられているといいます。
同社によると、訪問歯科は「疾病やけがなどの理由で通院が困難な方」であれば利用できる制度です。うつやパニック障害など、身体的な事情に限らず外出そのものが難しい場合も対象になり得るといいます。「通えるかどうか自分で判断せず、まずは相談してほしい」とのことでした。
訪問歯科に対応してくれる歯科医院を探す際は、まずかかりつけの歯科医院に相談するのが基本です。在宅で通院が難しくなった場合は、担当のケアマネジャーが訪問歯科の情報を把握していることが多く、相談先として頼りになるといいます。医院を選ぶ際には、ホームページに訪問診療の実績や機材の紹介があり、治療まで対応できるかどうかが一つの目安になるとのことです。距離については法令上16km以内という制限がありますが、急なトラブルにも対応しやすい3km程度の近さが安心につながるそうです。
気になる費用については、自己負担割合によって異なりますが、目安として、1割負担の方であれば予防目的の受診で1回1,000〜3,000円程度、施設に入居している方であれば1回700〜1,000円程度(月4回で3,000〜4,000円程度)とのことでした。「歯医者は後回しにされがちですが、痛みがなくても、まずはお口の中だけでも見せてほしい」とデンタルサポート社。お口の中は些細な変化に気づきやすい場所だからこそ、気になることがあれば早めに相談する習慣を持ってほしいと話していました。
「もっと早くつながっていれば」――顎が外れたまま1ヶ月放置されたケース
石井先生が医科歯科連携の課題を強く実感した出来事があります。ある病院から「顎が外れて1週間経つので診てほしい」という依頼を受け、実際に訪れてみると、事態はさらに深刻でした。
「実際に行ってみると、1週間どころか1ヶ月も外れたまま放置されていたことが分かったんです。整形外科の先生がマッサージなどで対応されていたようですが、結局治らず、病院長も『どう治せばいいか分からなかった』と。もっと早く歯科に繋いでくれていれば、患者さんが1ヶ月も口が開いたままで、胃瘻や経鼻栄養に頼らざるを得ない状況は防げたはずです。」
顎まわりの処置は歯科の専門分野であるという認識が、医科の現場にはまだ十分に浸透していない――そう石井先生は感じています。2026年6月からは、病院が歯科と連携することで診療報酬上の加算がつく仕組みも始まりましたが、現場レベルでの浸透はこれからだといいます。
訪問歯科のこれから――地域で支える仕組みへ

訪問歯科を必要とする方がいる一方で、その存在自体がまだ十分に知られていない現状もあります。
「訪問歯科を必要としている方がいても、『歯科に行けなくなったら、歯科も必要なくなる』と考えてしまう方は少なくありません。また、ご本人やご家族が訪問歯科という選択肢を知らないことも、大きな課題だと感じています。私は、訪問歯科を『個々の歯科医院が頑張って提供するサービス』としてだけではなく、地域の歯科医療提供体制の一つとして考える必要があると思っています。」
石井先生自身、こうした地域差を客観的に把握するため、訪問歯科がどの程度高齢者をカバーできているのかを数値化する研究にも取り組んでいるといいます。歯科医院側の受け入れ体制についても、日本の歯科医院の多くが少人数で外来を切り盛りしている中、訪問診療への参入は簡単ではないのが実情です。石井先生自身は、アシスタントやコーディネーターの派遣を受けられる仕組みを活用することで、効率的に訪問診療を行っているそうです。
「これからはインプラントなどの高額な自費診療で競い合う『レッドオーシャン』ではなく、いかに地域の人々と繋がり、どのような医療を提供できるかを考える時代だと思っています」と石井先生。2026年6月に所沢デンタルクリニックの院長として新たなスタートを切った今も、施設だけでなく在宅の患者様を含めた訪問診療の拡充に力を注いでいます。
歯科医院への通院が難しくなった方へのメッセージ
「歯科医院に通うことが難しくなったからといって、『もう歯医者さんに行けない』と考える必要はありません。訪問歯科という選択肢があります。歯が痛い、入れ歯が合わないといった問題はもちろんですが、『最近食べにくそう』『口の中のケアがうまくできない』『以前より食事が楽しめなくなっている』といったことでも、歯科が力になれる場合があります。口は、食べるためだけのものではありません。人と話したり、笑ったり、毎日の生活を楽しんだりするためにも大切なものです。『歯科に行けないから仕方がない』と諦める前に、ぜひ一度、歯科医院や周囲の医療・介護スタッフに相談してみてください。訪問歯科が、その方の生活を支える一つの選択肢になるかもしれません。」
前回の特別養護老人ホーム庄和和合・根本裕子さんへの取材でも語られていたように、訪問歯科は入居者やご家族が担いきれなかったケアを引き継ぎ、時に病気の早期発見にもつながる存在です。施設の現場と歯科医師、双方の視点から見えてきたのは、「歯を治す」ことにとどまらない、その人の生活そのものを支える医療のかたちでした。
▼取材協力
医療法人彩明会 所沢デンタルクリニック 院長
「歯科医療を単なる“治療の場”にとどめず、地域の皆さまの健康を守り、支える存在でありたいと考えています。治療だけでなく予防やお口の健康管理を通じて、患者さんご自身が健康を守る力を育めるような歯科医療を目指しています」
立教大学法学部卒業後、東京歯科大学歯学部へ進学。卒業後、東京歯科大学千葉歯科医療センターでの臨床研修を経て、医療法人彩明会 春日部デンタルクリニックに勤務。2026年に東京歯科大学大学院 歯学研究科(社会歯科学)を修了し、博士(歯学)を取得。同年4月より所沢デンタルクリニック院長に就任。
社会歯科学の知見も活かし、予防や健康管理を重視した歯科医療に取り組む。患者一人ひとりの生活や環境にも目を向けながら、地域の健康と豊かな生活に貢献する歯科医院を目指している。

医療法人彩明会 所沢デンタルクリニック
医院住所:〒359-1106 埼玉県所沢市狭山ヶ丘1丁目3003番地7 かわらビル2階
電話番号:042-937-7931
医院HP:https://tokorozawa.saimeikai.or.jp/
デンタルサポート株式会社
歯科医院の訪問歯科診療をサポートする老舗企業
医院住所:〒261-8501 千葉県千葉市美浜区中瀬1-3 幕張テクノガーデンD棟17階
電話番号:042-937-7931
医院HP:https://www.dentalsupport.co.jp/














