【歯の白と黒の歴史トリビア第7回】日本で歯磨きの文化が浸透したのはいつ?
歯磨き文化が定着し始めたのは江戸時代!理由は……
日本には、仏教伝来とともに歯磨きの文化も伝わってきたと言われています。しかし、平安時代の間は百姓などの庶民には普及しておらず、公家(貴族)や武家、僧侶などの一部の人に身を清める作法として広まっていました。
一般庶民の間にも広がりを見せたのは、江戸時代の中期(1651~1745年)になってからと言われています。きっかけは、歯ブラシの前身というべき「房楊枝(ふさようじ)」が販売されたことでした。房楊枝は、川柳(かわやなぎ)や灌木(かんぼく)の小枝を煮る、叩く、櫛ですくなどして柔らかくした木の繊維を、針のすき具によって房状に加工したものをブラシ部分に使用しているのが特徴です。また、柄の部分は「舌こき」として舌の汚れを落とせるなど、非常に利便性の高いアイテムだったのだとか。
また、房楊枝と同時に登場したのが「歯磨き粉」です。陶土から作る磨き砂に、ハッカ、チョウジなど薬効のある植物が混ぜ込まれており、歯に付いた汚れを落とす作用がありました。この2つのアイテムが登場し、急速に歯磨きの文化が定着したとされています。
ちなみに江戸時代は、女性よりも男性の方が歯に気を使っていました。その理由は「歯が綺麗じゃないとモテない」から。歯が汚い男は吉原の遊女からの受けが非常に悪く、綺麗な白い歯を持つ男こそが伊達男(しゃれた男という意味)という扱いだったようです。そのため、江戸時代中~後期の男性は、歯磨きに必死だったのだとか。男性がモテるためならなんでもしようと思うのは、今も昔も変わらないですね。
科学的歯磨きの時代は明治から始まった
江戸時代に定着した歯磨きの文化は、明治になり西洋の文化が入ってきたことでさらに進化します。まずは歯ブラシ。1872年に西洋文化を取り入れ販売された「鯨楊枝(ブラシ部分に鯨のヒゲと馬の毛を使用)」は、現在の歯ブラシに非常に近い形だったのだとか。1880年代には、小林商店(現在のライオン株式会社)から「萬歳歯刷子」という商品が販売され、ここで初めて「歯ブラシ」という名が使われるようになりました。
歯ブラシ同様、歯磨き粉も進化していきます。1872年、当時すでに西洋で広まっていた、炭酸カルシウムを使用した歯磨き粉が日本でも発売されました。徐々に歯磨きが「ただ歯の表面を綺麗にするもの」ではなく「殺菌などを考えた科学的なもの」であると認識されていくようになったのです。第二次世界大戦後になると、フッ素入りの歯磨き粉などが続々と販売されるようになり、今と同じような歯のケアが可能となりました。
あらゆる歯科グッズがそろっている現在だからこそ、万全のケアを!
江戸時代は歯磨きの文化が定着したとはいえ、まだまだ歯ブラシなどの完成度は低く、万全の歯科予防が行えていたわけではありませんでした。しかし、現代では意識次第で豊富にある歯科グッズを使い、隅々まで行き届いたケアを行うことができます。せっかく健康美が意識されている現代に生まれてきた以上、歯科の予防は徹底しておきたいところですね!
今回の「歯の白と黒の歴史トリビア」はここまで!次回の更新をお楽しみに!
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【ライター紹介】 M
「文章を書く仕事がしたい」という想いから、ライター業を志したToo shy shy boy。「人生を無駄遣いしている」と揶揄されるほど、引きこもりがちで内気な性格からは想像できない“執筆への情熱”を併せ持ち、編集プロダクションなどを経てWebライターの職に就く。Ha・no・ne編集部では歴史好きな側面を活かし、歯と歴史を絡めた「歯の白と黒の歴史トリビア」を連載中。趣味は欧州サッカーや海外ドラマを見ることであり、土日は昼夜逆転の生活を送ることもしばしば。
Twitter:ムートー
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