【歯の白と黒の歴史トリビア第5回】女性の美の条件!?“お歯黒”の歴史
1000年以上前からあったお歯黒の文化
現在日本でお歯黒にしている女性はほとんどいないと思いますが、明治時代の初期までお歯黒は歴史ある文化として民衆の間に浸透していました。「鉄漿(かね)」「涅歯(ねっし)」という呼び方もされるお歯黒は、何をきっかけに始まったのか、いまだ解明されていません。遥か昔から日本にあったという説や、朝鮮半島からやってきたという説などがありますが、どれも確たる証拠があるわけではないのです。
ただ、938年(平安時代中期)に源順(みなもとのしたごう)が編集した日本最古の辞書とされる『和名類聚鈔(わみょうるいじゅしょう)』のなかに、次のような記述があります。
「黒歯の国、東海中にあり。その土俗、草を以て歯を染むる故に曰く。歯黒は俗に波久路女 (はくろめ) と云ふ。婦人黒歯具有り。故にこれを取る」
これを見れば、この時代にはすでにお歯黒の文化が日本にあったことがわかるでしょう。お歯黒の風習が完全になくなったのは大正時代(1912~1926年)になってからと言われているため、お歯黒は1000年近くもの間、日本にしっかりと根付いていた文化だったのです。
お歯黒は女性にとって美しさの条件だった!?
日本をはじめアジアの国々で見られていたお歯黒。現代的価値観からすると「せっかくの白い歯を黒く染めるなんてとんでもない」と、否定的な考えを持つかもしれません。しかし、明治時代の文豪、谷崎潤一郎は自身の著書『陰翳礼讃(いんえいらいさん)』において「顔以外の空隙へ悉く闇を詰めてしまおうとして、口腔へまで暗黒を啣(ふく)ませたのではないであろうか。今日かくの如き婦人の美は、島原の角屋のような特殊な所へ行かない限り、実際には見ることが出来ない」と記している通り、お歯黒は美人の象徴としています。
つまり、今とは異なり明治までの日本では、お歯黒は美しさの条件だったのです。当時は歯を磨く意識に乏しく、虫歯や歯周病に悩まされる人が多くいました。当然、白い歯を保つのは難しく、黄ばんだり汚れが目立ったりしていたことでしょう。お歯黒は、そういった審美面の悩みを解消する有効な手段でもあったのです。むしろ今の「白い歯こそ美しい」という価値観は、明治以降西洋の文化が入ってきてから広まったものなのかもしれません。
また、お歯黒は審美面以外にもう1つ、重要な役割を持っていました。それが「既婚者」と「未婚者」の区別です。江戸時代には、結婚した女性は必ず歯を黒くする習慣があったのだとか。今でいう「結婚指輪」のようなものですね。ただ、たとえ既婚者ではなくても20歳前後になった女性はお歯黒にしていたようです。もっとも、明治時代より以前はだいたい14~16歳が女性にとっての結婚適齢期とされていたため、20歳になって独身というケースは珍しかったと言えるでしょう。
いつまでも白くキレイな歯を保とう!
お歯黒が美しさの条件とされたのには、汚くなってしまった歯を黒くすることで隠せるという理由が大きかったかもしれません。明治時代より以前までは今と違い歯のケアが難しく、白さを保つのが困難な時代だったのです。現在は昔と比べ物にならないくらいケアアイテムなどが充実しており、意識すれば歯本来の美しさを保つことは難しくありません。現代に生まれた以上、せっかくなら白く美しい歯を保っていたいものですね!今回の「歯の白と黒の歴史トリビア」はここまで! 次回の更新をお楽しみに!
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【ライター紹介】 M
「文章を書く仕事がしたい」という想いから、ライター業を志したToo shy shy boy。「人生を無駄遣いしている」と揶揄されるほど、引きこもりがちで内気な性格からは想像できない“執筆への情熱”を併せ持ち、編集プロダクションなどを経てWebライターの職に就く。Ha・no・ne編集部では歴史好きな側面を活かし、歯と歴史を絡めた「歯の白と黒の歴史トリビア」を連載中。趣味は欧州サッカーや海外ドラマを見ることであり、土日は昼夜逆転の生活を送ることもしばしば。
Twitter:ムートー
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